あの辛い日から、今日で早くも1週間経ってしまいました。
午後2時46分。
宮城方面に向かい、正座をし、合掌しながら私は涙がとまりませんでした。
あの時間から、人生が変わってしまった。
そして時間経過ともに生存者の発見も数が少なくなってきてます。
時間は残酷。
被災地から救援されてるところと、ひずみのように救援から漏れてしまってる
ブラインドエリアの人々の明暗化がはっきりしてきてしまいました。
道路・鉄道網はものすごい勢いで整備・復旧されてますが、救助の太いパイプは福島以降北に向かい、千葉・茨城をどうにも素通りしてしまってる箇所が出てきてるようです。
もちろん必死の勢いで救助に命を賭けられてる方がおられるのは承知してます。本当にありがたいし、頭がさがりますが。
震災されて、未だ食糧も水も行き届かない茨城の方が、お子さんのミルクが尽きて、赤ちゃん、餓死されてしまったそうです。
一体、1週間前にこんな壮絶なことが、この今の時代起こると、誰が想像したでしょうか。
義援金として赤十字は「お金」を求めますが、実際生きるのは、やはり「物資」だと思う私に
こんなサイトをお友達から教えていただきました。
もしご興味のある方はご参考になされてください。
http://www.ud-web.com/oshirase3.htm
そして、もう一つ。
是非、これを最後まで読んでみてください。
http://www.iam-t.jp/HIRAI/pageall.html
これを書かれた方は、もうすでにこの世にはおりませんが。
私の住む山形県も少しずつ、物資が戻りつつあるようです。
相変わらず燃料(ガソリン・灯油)は手に入りませんが。
でも焦らず待ちます。
昨日の吹雪とは一転、今日は晴天に恵まれました。
おかげで暖房なしでも比較的楽にすごせて。
被災地の方にも一日でも早く、暖かい場所に戻ってほしい。
日中、晴天に背中を押されて、部屋の掃除をしていたら、轟音と地鳴りのようなものがして「あっ!また地震!!」と恐怖で身が固まった私の頭上を、自衛隊の双発のヘリコプターが何機もものすごい勢いで仙台方面に飛んで行きました。24時間、救援物資及び救援部隊の中継基地になってる山形空港がすぐ近くなので、ここしばらく頭上が賑やかなのですが、こんなに低空飛行で気合い?一杯の飛行は初めてだったと思います。
震災後、ちょっとの音と振動に信じられないくらい臆病になった私は、それだけで心臓がバクバクしましたが、その双発ヘリに向かい、思わずこぶしを振り上げ「頑張れ!!」と叫んでしまいました。
頑張れ!頑張れ!
どうか一人でも貴重な命が救われるように。
みんな、頑張れ!